2016年 08月 03日
ニガウリを「うまい!」と言った息子の味覚の変化
[苦味] ブログ村キーワード
6月3日付のブログで一度の食事に五つの味の食品を入れて立てる献立はゲーム感覚でできてなかなか面白いと書いた。しかし、甘味を入れるのが結構難しい。そして苦味をおいしさとして感じられるように使うのは難関である。
これは二日前の晩御飯であるが、甘味は人参とレモンの蜂蜜煮、苦味には夏らしく(と言っても夏らしい色合いに見えないが)苦瓜を使ってとネギと卵の炒め物にした。苦瓜はアメリカに来て初めて調理し始めた野菜のひとつである。日本に住んでいた頃は全く馴染みがなかったこともあって使い始めるまでにかなりの年月がかかった。インターネット上にはサラダや炒め物から和え物、カレー、スパゲティに至るまで1000以上もレシピがあることを知って少しづつ挑戦しているのだが、レパートリーが増えるに従って「苦瓜の苦味はうまい」と感じられるようになってきた。
レシピの中には「苦味を感じない」や「苦味をとった」調理法が少なくない。 それはもちろん苦味を旨味と感じるだけの味覚が発達していない子供達にゴーヤを食べやすくするためのお母様方の努力の結果であるのかもしれない。だが苦瓜はあまりしっかり下処理をしてしまうと、ビタミンCがなくなってしまったり苦味の成分にある健胃や血糖値を安定させるといった様々な健康効果も消えてしまうとのことである。私個人としてはゴーヤの苦味という旨味をできるだけ残す下処理方法を取りたい。サラダなどにはワタを取って塩もみしてサッと熱湯をかけるだけで十分だ。何より苦瓜の個性である苦味を美味しく頂きたい。
息子が子供だった頃、和食の食卓で彼がいつも最初に手をつけるのは、白花豆にも似たライマビーンを砂糖と少しのお酒で似た甘〜い煮豆だった。また酢の物といえばトッピングの缶詰のみかんだけを全部食べて肝心の酢の物部分には全くお箸をつけなかった。そんな息子も26歳になりいつの間にか酢の物やゴーヤやピーマンなどの野菜も抵抗なく食するようになっている。酸味や苦味は後から備わる「大人の味覚」だというが、彼の味覚はやっと大人になってきたんだなと最近感じる。
6月3日付のブログで一度の食事に五つの味の食品を入れて立てる献立はゲーム感覚でできてなかなか面白いと書いた。しかし、甘味を入れるのが結構難しい。そして苦味をおいしさとして感じられるように使うのは難関である。
これは二日前の晩御飯であるが、甘味は人参とレモンの蜂蜜煮、苦味には夏らしく(と言っても夏らしい色合いに見えないが)苦瓜を使ってとネギと卵の炒め物にした。苦瓜はアメリカに来て初めて調理し始めた野菜のひとつである。日本に住んでいた頃は全く馴染みがなかったこともあって使い始めるまでにかなりの年月がかかった。インターネット上にはサラダや炒め物から和え物、カレー、スパゲティに至るまで1000以上もレシピがあることを知って少しづつ挑戦しているのだが、レパートリーが増えるに従って「苦瓜の苦味はうまい」と感じられるようになってきた。
レシピの中には「苦味を感じない」や「苦味をとった」調理法が少なくない。 それはもちろん苦味を旨味と感じるだけの味覚が発達していない子供達にゴーヤを食べやすくするためのお母様方の努力の結果であるのかもしれない。だが苦瓜はあまりしっかり下処理をしてしまうと、ビタミンCがなくなってしまったり苦味の成分にある健胃や血糖値を安定させるといった様々な健康効果も消えてしまうとのことである。私個人としてはゴーヤの苦味という旨味をできるだけ残す下処理方法を取りたい。サラダなどにはワタを取って塩もみしてサッと熱湯をかけるだけで十分だ。何より苦瓜の個性である苦味を美味しく頂きたい。
息子が子供だった頃、和食の食卓で彼がいつも最初に手をつけるのは、白花豆にも似たライマビーンを砂糖と少しのお酒で似た甘〜い煮豆だった。また酢の物といえばトッピングの缶詰のみかんだけを全部食べて肝心の酢の物部分には全くお箸をつけなかった。そんな息子も26歳になりいつの間にか酢の物やゴーヤやピーマンなどの野菜も抵抗なく食するようになっている。酸味や苦味は後から備わる「大人の味覚」だというが、彼の味覚はやっと大人になってきたんだなと最近感じる。
by osakanoobachan
| 2016-08-03 20:29
| 食べることは大切にしたい