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今時の若者の気配り心配り

[気配り] ブログ村キーワード
一年前このブログ上で一人の若者が南海電車の中で同時に見せてくれた「公共の場に対する非常識さ」と「自分のつながりのある者に対する丁重さ」のコントラストに非常に驚いたと書いた。彼は多くの乗客が乗り合わせているのを全く意に介せず、友人(?)と思われる相手と大声で延々と電話で話を続けていた。ところが意外な事に電話の切り際には、「長電話してごめんな、ほんとに...」と大変丁寧な言葉遣いと遠慮気味のトーンでお詫びを入れたのである。このギャップは一体何なのか?

たまたまその頃読んだ柳田邦夫の「壊れる日本人」の中にで 「テレビやゲームやコンピュータのバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界で一日の多くの時間を過ごす若者たちは、現実と仮想現実の世界の区別がつきにくくなってきている」とIT社会が今の若者の人格形成に与えている否定的な影響を指摘していた。この指摘を受けて私は、この若者はゲームばっかりやっているから自分個人の空間と公共の空間(この場合は電車の中)がオーバーラップし、電車の中というのも個人空間の一部と認識されているんじゃないと分析した。しかし、何となくこじつけクサイという感触は拭えなかった。

あれから一年、一昨日の朝日新聞の法政大学の児美川教授が書いた「リレーオピニオン」というコラムを読んで、この若者の自分空間と公共空間の認識は彼らの人間関係と携帯やネットに依るところが大きいのかもと思い始めた。児美川教授の調査に基づくと今の中高生はとにかく友達関係に最も気を使うのだそうだ。彼らは常に回りの反応を見て立ち位置を決め、キャラを演じている。そして家に帰ったら帰ったで、特に携帯やネットのある今は、「即レスしなきゃ」というプレッシャーがある。彼らは仲間とうまくやって行くためにかなりの時間とエネルギーを裂いているのである。

そして、コンビニの前でよくたむろしている中高生を例にとり、彼らは自分たちの仲間内の人間関係には大変気を使っているが、逆に回りの世界には目が届かず通行の邪魔になっても全く気づかない。それは日々自分の周りの反応ばかりにエネルギーを使いすぎているから「公共圏」に回るエネルギーが残らず、よって外の世界はどうでもよくなっているのだと結論づけている。

このデンでいくと、先の南海電車の若者の行動は納得のいくものになる。彼が相手に対して大変気を使っているという事は彼の言葉の端々やトーンによく現れていた。要するに「気配り」や「心配り」というコンセプトは彼の中にない訳じゃない。ただ公共の場において公共圏に回さなければならないエネルギーを枯渇させているに過ぎないのだ。この若者は必ずしも常識のない悪いヤツではないのだ。
by osakanoobachan | 2012-06-08 09:24 | 一年に3ヶ月の大阪生活で

生活の本拠地をアメリカに大阪と行き来しながら早20余年。とはいえ日米国の隔てなく世事への好奇心は増すばかりの毎日。健康、美容、食べる事から外交、教育などなど、気の向くままに綴っています。


by osakanoobachan
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